Essay:あたし



よく、お節介だといわれる事があった。今も有る。
それが理由で悩んでいた、時もあった。
でも、困っている・苦しんでいる人がいると、話しかけて助けたいと思う、のね。

そんなあたしを、「らしさ」として受け入れてくれる人も居れば、拒否する人も居た。
拒否されれば勿論落ち込んだ。
それに、受け入れてくれる人の中にも、本当は嫌がってるんじゃないの?って、
疑心暗鬼に陥ることもあった。


  あたしは、間違ってる?
  間違っていないとしても、あたしが苦しむ理由なんてないのに。



実際、こんな性格…性質を直そうと、わざと困っている友達に蔑ろに接した事があった。
はっきり言って、結果は無駄だった。
例えそれがエゴであっても、偽善と呼ばれる行動であっても、
あたしはそれをやめる事はできないのだろうな、と思う。

こんなことを書けば、『自分は賢良な人だ』と自慢したいだけなんじゃないか、と言われるかもしれない。
実際に、そんな意味の言葉を投げかけられたこともあった。


でも、絶対に言える事は、あたしは完璧な人間でも何でもない。
人間として生きている以上、見返りを求めない行動などないんじゃないかな。
例えば、いい人だと他者から思われること、
物質的な利益、そして、単純に「ありがとう」の言葉。
それを欲するからこそ、あたしの行動はある。


あたしは助けたい。
偽善なんだろうな、と自分でも思う。
無駄なことかもしれない。
でも、あたしは助けたい。
あたしも助けられたいから。




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