銀杏の頃
・吉岡銀杏(よしおかいちょう)
・浜本 桂(はまもとかつら)
どうして泣いているの?
真っ黒な髪を2つに結わえた女の子だった。
先程から[銀杏]の居る場所の近くで泣いていたのだ。
もう10分以上はそこに居るだろう。
すぐには声をかけなかった。
何故なら、自分は例え泣くことがあっても、
絶対にその姿を見られたくは無いと思っていたし、
ましてやその時他人に話し掛けられるなんて真っ平だと思っていたからだ。
自分が泣くほどの事を、同情されたり同調されたりするのは嫌いだった。
10分程、泣いてるその女の子を観察していて分かったことは1つ。
この学校では、学年ごとに名札の色が違っているために、
その子の学年は特定することが出来た。
黄色いTシャツの左胸に見える青い名札。
恐らく、2年生だろう。
…だぁれ?
息を飲む音が、木に登っている[銀杏]のところまで聞こえた。
職員駐車場の隅にあるイチョウの木の上に[銀杏]が。
薄茶色の幹に凭れて泣いている女の子が。
尤も、今は、女の子の方は幹から少し離れ、
声のした場所はどこなのかと辺りを見回しているが。
そのキョロキョロした姿が可愛くて、思わず小さく笑った。
その声に反応して、頭上を見上げているが、
黄葉に混じる白いシャツと茶色のズボンのせいか、
[銀杏]の姿は女の子の目には捉えられなかったようだ。
ねぇ、もしかして、このイチョウが話してるの?
幼げなその言葉に、[銀杏]は俄然面白くなった。
放課後にはいつも此処に登っているくらい暇で退屈なのだ。
この子を相手にするのも楽しいかもしれない。
そう思えたのは、最近の子供(まぁ[銀杏]も子供には違いないが)には珍しく、
木が喋ったという無邪気な言葉に惹かれたからかもしれない。
そう、僕はこのイチョウだよ。君はどうして泣いているの?
声変わり前の[銀杏]の声は、アルトの不思議な響きを持っていた。
聞きようによっては、木の精に聞こえないことも無かったし、
肯定の言葉を発しているわけなので、女の子は木が喋っていると信じているようだった。
みんながね、あたしの名前変だって言うの。
理由を説明する声に驚いた。
[銀杏]もまた、同じようなことでからかわれた覚えがあったからだ。
銀杏、という字はぎんなんとも読める。
国語の教科書に、その字が出てきたのは3年生のときだったか。
それをネタにからかわれ、この女の子のように泣いたことがあった。
嫌な記憶だった。
名前?僕にも教えてよ。君の名前。
笑わない?
女の子の声は震えていた。
先程の泣いているときよりかは明るい声音だったが。
笑わないよ。言ってごらん。
かつら。はまもとかつら。
―――かつら、桂、だろうか。
かつらは、自分の名前を漢字で書ける?
うん、お母さんが教えてくれたの。木を書いて、土を2つ。
そっか、すごいね。桂は自分の名前嫌いなの?
ううん、好き。お父さんがつけたんだって。
そっか。
お兄ちゃんの名前は?
[銀杏]という名前を名乗るのを躊躇う。
イチョウの木の名前が[銀杏]だなんて。
在り来たり、というかそのまんま過ぎて笑えてしまう。
僕のことは銀って呼んで。
ぎん…きれいな名前だね。
ありがとう。ねぇ桂、桂の名前も綺麗な名前だよ。
ううん…だめなの。みんな髪の毛のことだからおかしいっていう。
そうじゃないよ、桂。桂、っていうのは、ほら、あそこの木。
木…?あのちっちゃくて黄色い花がついてるの?
そう。あれは金木犀っていうんだ。
きんもくせい?
そうだよ。いい匂いがするだろう?桂にはこの花の意味があるんだよ。
本当に?!髪の毛じゃないの?
うん、先生に聞いてごらん。
うん…うん!そうする!!ありがとう、ぎん!
またね。
ばいばい、と手を振りながら、桂は走っていってしまった。
その背中を見つめながら、[銀杏]は黄葉のさらさらと言う音に耳を傾けた。
この作品から後書きを書いていこうかと。
これ、後日談、というか続きがあったりします。
気が向いたら文章に起こしますー。
2005/9/23 Kiyu